数年前、父方のおじいちゃんが亡くなりました。
お盆と正月にはおじいちゃんの家に行っていました。
会うといつも窓際に座っていて、どこのテレビ局か忘れたけど、テレビがついていたな。
今思えば、もっとおじいちゃんの家に行くべきだと思っているので後悔しています。
年に2回ですからね。遠くもないし、自転車で行けたので、なんでもっと会いに行かなかったのかと後悔しています。
会ったときに言うのはいつも同じ。
「ボーナスを貰っても端数は使っても良いけど、それ以外は貯金せよ」でした。
例えば、15000円ボーナスで貰ったとして、「5000円は自由に使って良いけど、1万円は貯金せよ」という意味です。
おじいちゃんの死因は・・・。
おじいちゃんの死因はよく分かりません。そういや詳しく聞いていなかった。
誤飲性肺炎で入院して、病院を転々していると父親から聞いていました。
亡くなる数日前にお見舞いに行ったら、寝たきりでまともに喋れない状態。
もっと早く行けば良かった・・・。早く行けば、おじいちゃんと会話できる状態だったかと思いますので。
でも、おじいちゃんの口元に耳を近付ければ、かろうじて、おじいちゃんの話が聞こえる状態です。
印象に残っているのは、おじいちゃん自身、まともに体は動かないし寝たきりで、先程書いたように耳をすませば聞こえる状態で、ぼくの耳をおじいちゃんの口に近付けた時に、「仕事は大丈夫か?」と聞いたこと。
自分がどうなるか分からないのに、ぼくの仕事の心配をしてくれるなんて・・・。
そのときは、泣かなかったですけど、今思い出すと泣きそうです。
おじいちゃんの形見を大事に・・・
おじいちゃんの時間は亡くなったので止まりましたが、あとはぼくが引き継いだ。おじいちゃんの腕時計を形見でもらい、我が家の神様のところに置いています。
しかし、つい最近、肌見放さず身に付けています。
時計は順調に動いています。おじいちゃんの生きる時間をぼくが引き継ぎ、ぼくが死んだ時は娘か息子に託したいと思っています。
時計は、決して高価なモノではありません。ALBAの腕時計のようですが、金額は分かりません。でも、ぼくの中ではお金では買えないモノです。
例え1億円積まれても譲ることはないでしょう。
ちなみに、腕時計は何年ものなのか分かりません。
ただ、かなり古いかとは思います。
でも全く問題なし。
ぼくが、娘や息子に引き継ぐまで動いていてくれれば良いのですが、もし止まっても引き継ぐつもりです。
これはもう、家宝と言って良いかと思います。
時間と曜日しか分からないですが、これでも十分です。
何より、おじいちゃんが見守ってくれていると感じて、少しだけ勇気が出ます。
おじいちゃんの笑顔が好きでした
今まで、数多くの笑顔を観てきましたが、顔をクシャクシャにして笑う笑顔が印象的でした。
酒豪だと聞いていたので、一度、一緒にお酒を飲みたかったな。
顔をクシャクシャにして笑顔で楽しくお酒が呑みたかった・・・。
これは、叶うことがないので、ぼくが天国へ行ったらおじいちゃんとお酒を呑みたいと思っています。
さいごに
腕時計はたくさんありますが、ぼくの腕時計は唯一無二の存在。
先程書いたように、我が家の神様のところに置いていたのですが、腕時計の役割は、腕にちゃんと装着して時間を確認させるためのモノ。
大切に保管するのはありですが、使わないといけない感じがして、今はおじいちゃんの腕時計を使っています。
天国のおじいちゃんはどうしているだろうか。
きっと応援してくれていると思うので、それにこたえたいと思います。
おしまい。