かわんです。
今回は「僕が結果が全てであると考える理由」を書いてみる。
早速行ってみよう!
- なるべく成功に近い過程で
- 過程が大事でも結果が伴わないなら無駄である
- 昔は過程を重要視していた。今は結果が全てだけどね
- 結果が全てなので現実的に生きる
- 結果が全てなので、甘えは許されない
- 長時間かけて書いた記事でもアクセス数が少ない場合はアウト
- 結果が全てだと思っているので需要のある記事しか書かない
- さいごに
なるべく成功に近い過程で
成功するには過程が必要なんだけどね。なるべく成功に近い過程がいいよね。
成功とかけ離れた過程だと、いつまで経っても成功は出来ない。
成功に近い過程は何なのか?ネットで調べながら自分で考える必要があるね。ネットはヒントになるので、調べてみた方がいいだろう。
あとは、家族や友達などに相談すると良いだろうね。ただ、ネガティブなアドバイスをされると厄介だが・・・。
僕は人に相談しない。自分で解決する。結局はこれがベストかなって思っているのだ。
過程が大事でも結果が伴わないなら無駄である
過程が大事という言葉を誰でも1度は聞いたことがあるかと思う。
僕だってあるさ。学生の頃に、高得点を取る為に頑張って勉強したのにも関わらず点数が悪かった場合。
親は「頑張ったんだから良し」と言っていた。勉強が過程になるのだけど、それで高得点取れないなら、その過程は無駄である。
要するに、結果が伴わないのであれば、過程が大事とか関係ない。高得点が取れない過程を過ごしたので勉強は無駄だったのである。
もちろん、勉強したことにより多少は点数が上がったかも知れない。
そこを目標としたのであれば、過程は無駄ではなかったという話である。
目標とするところまで行けたなら過程は大事という判断だ。
昔は過程を重要視していた。今は結果が全てだけどね
頑張っていれば、いつかは報われると思っていた。しかし、頑張っても無理だった・・・。
それでも、過程を褒めていた。目標にたどり着かなくても、過程を努力していたのでね。
でも、それは意味ないよね。結果が全てなので。どう努力しようと結果が全て。
勉強を沢山しようがしまいがテストで100点取れればOKなのである。
結果が全てなので現実的に生きる
僕は現実的に生きている。
現実的に生きるというのはどう言う意味があるのか?色々な意見があるが、僕が思う現実的は、簡単に言えば夢を持たないという感じで思っている。
夢ではなく目標。目標を掲げれば、どうやって動けば良いか見えてくる。
僕はブロガーなのだけど、収益とPVをもっと増やしたいと思っている。
方法は色々とあって試しているけど効果なし。ただ、直ぐに結果が出る訳ではないので、今のところは様子見である。とりあえず、3ヶ月間様子を見る。
それでダメなら、成功に遠い過程だと認識する。そのあと、また違う作戦で挑む。もちろん、現実的に考えてって話である。
結果が全てなので、甘えは許されない
甘えは許されない。退路を断つ感じだ。この考えは昔からあって、散々退路を断ってきた。
その結果、自分を追い込んでパフォーマンスを上げるよう仕向けてきた。
現実的に考えて「無理だ」と判断した場合は、それが結果だったのだろう・・・。
過程を褒めないし言い訳はしない。言い訳するのは嫌いなんだ。
長時間かけて書いた記事でもアクセス数が少ない場合はアウト
1記事だいたい1.5時間ほどで2000〜2500文字書く。
でも、アクセス数が増えないならアウト。ダメ記事の誕生である(笑)。
記事を消すことはしないが、費やした時間がもったいない感じである。
ただ、遠目で見ると記事を消さない限りアクセスが次から次へとされる可能性がある。
よって、先ほど書いたけど記事は消さない。まぁ、それでもアクセスが見込めない記事は消しまくっているけどね。
当ブログは元々2000記事近くあったのだけど、250記事まで落とした。
その結果、アクセス数に変化なし。いかにダメ記事を量産していたのだろうって感じだ(笑)。
結果が全てだと思っているので需要のある記事しか書かない
基本的に、結果が全てなので需要のある記事しか書かない。
具体的には、検索されそうで読んでもらえそうな記事しか書かない。
まぁ、たまには息抜きが必要かなぁと思うことがあるが、それは成功の過程から反れる話になる。
それに、需要がありそうな記事を書くのは楽しいからね。よって、息抜きはしない感じである。
さいごに
夢はない。目標はあるけど(笑)。結果が全てで現実的に考えるので夢を持つことはない。
なお、僕は夢を否定するつもりはない。夢があるって素晴らしいと思っている。
夢であれ結果が全てであれ、達成出来れば「おめでとう」なのだ。
ポイントは、「どうやったら結果が出るか」なのだ。夢も結果が全ても素晴らしいと思う。
自分に合致する考え方で結果を求めよう。
おしまい。